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2024

soul #4 河野透

24Lizards副将兼FOリーダーを務めました、河野透です。

 



はじめに、平素より名古屋大学男子ラクロス部をご支援してくださる皆様に、心より感謝申し上げます。



 

定型文のようですが、1年間副将という立場に身を置いたことで、Lizardsが非常に恵まれた環境にあること、多くの支えによって成り立っていることをより一層実感しました。本当にありがとうございます。

 




 

同じく副将のかなたから回ってきました。

1年間裏方の様々な業務をこなしてくれました。縁の下の力持ちという言葉がこれほど似合う男はいません、本当にありがとう。ただ穏健派を自負しているようですが、僕ら2人は間違いなく武闘派筆頭だったと思います。FINAL前にふうに一撃を見舞ったときは流石にビビりました。

 




最後はひろきです。

入学当初からしばらくは歴代No.1と言っても過言でない大舐め腐り野郎でしたが、立派に主将という大役をこなしてくれました。引退が近づくにつれどんどん大きくなっていく背中に、昔を思い返してちょっぴり感傷に浸ったのは内緒です。言葉の力とは不思議なもので、あのときのいせさんの発言がなければこうなってなかったのかなとも思います。







引退してからは生活に彩りがなく、なんだかモノクロの世界に住んでいるような心地です。毎年この時期になると、グラウンド近くにある金木犀の香りが毎朝のささやかな楽しみでしたが、今年は満足に楽しむこともなくシーズンが終わってしまいました。

 



 

本題に入る前に。僕は考えることが得意なタイプで、理念ミや飲み会で人のアツい話を聞いたり、大学や世代を問わず引退ブログを読み漁って、だれかの4年間をちょっと覗いたりするのも好きでした。ただ2年前から書き溜めた日記を見ると、アウトプットが思考量に追いついていない節があります。このブログもとても長く拙い文章になりましたが、少しでも読んでいただけると嬉しいです。

 






 

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長く強いチームの基盤を作る。

 

 



南山に負けて24Lizardsが始動したとき、こう心に決めた。

 


「勝つことで伝統は作られる」



たいすけさんがよく口にしていた言葉。



正直2年生のうちは19に精一杯ついていくだけで、自分のプレーに関わらずチームは勝つのが当たり前、負けてもいい勝負。



だから気負うことなくのびのびプレーして成長できたし、全学、慶應戦にも出た。このまま成長すれば全国でも戦えると信じていた。

 





主力となった3年生では一転して伸び悩んだ。けんすけとのマンツーマン練習がなくなって、丁度いい練習相手がいないからだと自分に言い聞かせた。


春頃にはそれまでなかった関東、関西の同期と差を感じ始めた。


ただ関東遠征、七帝戦と結果が出なくても、強力なOF、DFのおかげで相変わらず試合には勝っていたし、運良く選抜やベストプレーヤーにも選ばれたことで、都合のいいことしか見なくなった。


リーグもトントン拍子に進んだこともあって、今までの先輩たちと同じように全国に進んで、関東とやるんだと高を括っていた。





だから南山戦はなんとなく「名大だから勝つのが当たり前」と思って挑んだ。


でも結局、勝負するのは大学の名前や戦績じゃなくて、そいつらが4年間取り組んできたラクロスの中身だった。


だから自分の自信が努力じゃなくて、それまでの名大の実績や名前からきていたんだと気づいた時にはもう遅かった。





 

負けた瞬間は20に申し訳なくて大泣きした。


何より与えられていた期待を、結果どころか行動で返さなかった自分が許せなかった。


同時に、とにかく経験が少ない新チームへの不安が襲ってきた。そぶさんは伸びしろだって言ってくれたけど、このままだとFINALどころかその手前で負けると思った。

 




 

負けたとはいえ、20とやってきたことには意味があった。


ただ自分たちは負けてしまったら、一体チームに何が残せるのか。今のチームで勝つために何が必要かをとにかく考えた。小手先であれこれしたところで100人の組織はそう簡単に変わらない。



長い目でこの2点を考えたとき、ひとつは当たり前の基準をあげること、もうひとつはチーム全体で一つの方向に向かえる何かが必要だと思った。

 

 


とにかくこの1年は、他の誰よりもLizardsことを考え続けた。休む間もなく常に、誰よりも。おそらく、ひろきを除いて。




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経験は少ないといえど、21の姿勢や言動が今後のLizardsの「当たり前」の基準を作ると思ったから、事あるごとに同期には厳しいことを言った。


特にスタッフは1個上の代がほとんどおらず、前年は育成と仕事を回すので手一杯だったと思うし、急にあれこれやれって言われて大変だったと思う。





F練やB練に残る。

グラウンド脇で喋るんじゃなくてメニュー見る。

積極的に武者に行く。

アップの声出し。

メニューの雰囲気。

関東の大学から知識を吸収する。

体トレメニューを選んだ理由。

審判はプレーヤーにフィードバックする。

一見優先順位低くてもスカウティングはとる。

集金。

SNSの投稿はなるべく早く。

全く動いてなかったHPの更新。

保護者やOBGへの活動報告は期日を決める。



 

着眼大局、着手小局とはよく言ったもので、小さなことだけど全て勝つチーム、応援されるチームに変わるために必要だと思った。最低だけど、多少嫌がられてもこれで勝てばチャラになると思ってた。

 



でも結局、頭ごなしにやれって言われたことは人間続かない。丁寧に理由を話して、納得して必要だと思ってもらった上でやらないと意味がなかったなって今になって思う。時間がないからって勝手に決めつけて、対話する前にただ正論を押し付けていただけなのかもしれない。

 



 

ただ結果を求めて焦る一方で、結果に左右されずにチームに残せるもの、バラバラなチームを一つにまとめられるのが理念だと思い、理念mtgを再開した。



20の代でmtgはなかったから、下級生の子達が理解するまでに相当時間がかかっただろうし、21も久しぶりで戸惑ったと思う。



日本一になったコーチに相談したり、他の大人、部員とも話をするなかで、理念と勝ちを結びつけることは本当にイコールなのか、これでチームが一つにまとまるのか答えが出ない時期もあったが、興味を持ってくれる子がいたのは素直に嬉しかった。

 





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「誇れる個人になり、誇れる枠を広ぐ」

 

 

昔からこの理念はかなり気に入っている。


こないだのOB会でほそみさんやあきとさんと理念について喋った時、幹部面談でこの話をしたのを思い出した。

 

 



「誇れる個人って何?」ってきいたときは、みんなすぐ答えてくれた。

「じゃあ誇れる枠を広ぐって?」っていうと大抵よくわかりません、っていう。そりゃ難しいと思う。

 



これは自分なりの解釈で決して正解ではないけれど、「自然と自分ごとのように思える、主語を大きくすること」だと思う。




誰かの活躍を自分ごとのように喜んだり、逆に失敗した時は悔しがったり。たとえ自分がフィールドに出ていなくても、心から勝ってほしい、応援できる仲間を増やすこと。

 



たとえば、

バディでなんも教えてあげらんなかったけど、はるきが練習や試合でいいプレーすると自分のプレーより嬉しかった。


あんなに自主練頑張ってるFが最初の三つ巴で負けた時は、マジで悔しかった。



名大に限らず、仲良くなった他大FOerの活躍を見ると嬉しいし、上南戦で南山が負けたときや名城がスーパーカップで負けた時は、東海地区の仲間としてとても悔しかった。



幹部面談で「練習でなかなか反省が出せません」ってりくたに言われて、「じゃあ練習前に〇〇するって決めて、それに対して反省1個だそう」って約束した次のナイター後に、「とおるさん、2個も反省出せました!」って嬉しそうに報告してきた瞬間は、完全にりくたのファンになった。

 




はじめは同期とか、同じポジションとか、小さな単位、小さな集団でいい。


ただその輪を少しずつ少しずつ広げていくこと。


その結果A、B、Fといったカテゴリや、プレーヤーやスタッフといった垣根を超えてチーム全体に、はたまた名大外にも広がることで、本当の意味での愛し愛されるチーム、応援されるチーム、勝つべきチームに近づくのだと思う。




 

そぶさんが言っているように、人としての成長なくしてラクロッサーとしての成長はないと思う。訳わかんないのに無理して理念やれとも、理念変えるなとも思わないけど、ふとしたときに、あの時あいつが言ってた誇れる枠、広がってるなって思ってもらえると嬉しい。

 

 




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FINALで名城に負けた瞬間、全然涙は出ず、冷静すぎてどこか他人事のようにさえ感じた。もちろん勝つ自信はあった。当然ビハインドになる想定はしてたし、覚悟も準備もしていたから。1対4で4Qを迎えても断然勝つ気でいたし、自分のFOでひっくり返せる自信があった。最後まで信じて疑わなかった。

 


 

試合終了の瞬間、21の夢は潰えた。ただ名城の勝ちたいという気持ち、4年間の努力が、俺らのそれを上回っていたんだと納得した。21はよく「俺らの代になったら」ってことを口にしてたけど、先だけ見て目の前の1年、1ヶ月、1日に全力になれない奴が、4年間、その瞬間に全力を注ぎ続けている奴に敵うはずがなかった。悔しいはずなのに、帰る頃には試合動画を見返してた。

 



ただ飲み会で21のでみんなの顔見てたら 



 

やっぱりこいつらと勝ちたかった。



 

なんでって思う。ただただ悔しい。悔しい。悔しい。






 

パロマで北海道と戦う姿。大井で最強の関東に挑むところまで、期待を膨らませていたから。スタッフのみんな、新人戦で泣かせた分絶対取り返すつもりだったけど、最後まで勝たせてあげらんなくてほんとにごめんね。




先輩たちがそうしてくれたように、後輩のみんなにも全国の舞台を経験させてあげるのが最低限、僕とさとるの仕事だと思っていましたがそれすら叶いませんでした。この4年間で唯一の心残りです。

 




 

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大変長くなりましたが、最後に

 


全国の仲間

関わってくれた多くの人に感謝しかありません。武者行く約束してた法政にも行きたいし、七帝戦は絶対見ます。あとは九州ゆうと、東北えびねくん。境遇の近い2人の存在があったから、3年生の辛い時期も頑張れました。現役中にもう1回やろうって約束守れなくてごめん。慶應、明学に勝って歴史を変える瞬間、期待してます。



 

東海の同期

練習や試合でみんなとラクロスしたり、喋ったりする時間がいつも楽しみでした。特に何度も練習でお邪魔した南山、名城のみんなには感謝しかないです。こぶちゃん、こうしろう、けんと、またFO会やろうね。



 

女ラクのみんな

伝えそびれてたけど、FINALでの応援ありがとうございました。2年とも勝てなくて申し訳ないです。本当に力になりました。

 



コーチの方々

尊敬できるし面白い人ばかりで、また全国の舞台に連れて行けなかったのが本当に悔しいです。特にザックさん、4年間本当にお世話になりました。



 

先輩方

18、19がいなければ日本一という夢の一端に触れることもなかったし、ここまでラクロスに熱中することもありませんでした。20にはわりと手を焼かせたと思います。みなさんとラクロスできたことが僕の自慢です。むぐさんこうさん、けんちゅけ、あんどぅ、けんてぃ、超える超えると言って最後まで情けない姿見せてごめんね。かずきさん、うめさん、忘れてないよ。

 


24

みんなが楽しそうにラクロスする姿を見て、いつも元気をもらいました。ありがとう。一言だけ言うと、4年でやるラクロスは、1年のラクロスより数十倍面白いよ。

 



23

みんなが2年後どんな姿になってるかが楽しみです。ポテンシャルは十分あるから、殻を破って強くなってね。期待してるよ。

 



22

一番アツい世代。先輩の期待とかお構いなしに、自分たちのやりたいように突き進んでください。まこっちゃん、「言語化と共有」の話できなくてごめんね。

 



むろ、ふじこう

頼りないFOリーダーだったけど、1年間ありがとう。2人のポテンシャルの高さは一番知ってるから、歴代No.1のFO組織を作り上げてください。もう1年一緒に頑張ろう。



 

たすく、そういち

俺らとは明らかに違うタイプだけど、2人なら大丈夫。誰よりもLizardsのことを考えて、誰よりもラクロスに打ち込んで、けんぞうを支えてください。

 



けんぞう

一番頼りになる後輩。全部任せたよ。がんばれ。

 

 



21

この4年間、1番長い時間を過ごしたみんなは特別な存在です。多くは語りません。この無念は沖縄で晴らそうな。

 

 

 


 

 

 

 


 

 

 


いつのまにかラクロスが大好きで、夢中になっていました。

 




駒沢でFOする夢は、きっとLizardsの後輩たちが叶えてくれると信じています。




 

ラクロスのおかげで、大好きなLizardsに出会えて本当に良かったです。





 

 

本当にありがとうございました。

 

 

 




 

AWAKE

 







 

河野透

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