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2020

soul #47 DF 那部良亮佑


すでに投稿されたみんなの記事を読んでいると、ついに自分たちもsoulを書く立場になってしまったのだなと、“引退”という2文字を強く感じるようになりました。本当は、辞めようかと悩んだ時期もあるけれど、なんだかんだ最後まで続けられたなと、すごく低いハードルで、ほっとしています。


そんな気持ちの中で、本当にこれまでの4年間は、技術面も、メンタル面も、多くの仲間や、家族、友人などの応援してくださった方々に支えられながら、ここまでやってくることができました。4年間のラストには、いっちょ前にかっちょいいsoulを書きたいな、とそんな風に思っていましたが、4年間を振り返りながら1度ゆっくり書いてみると、なんだかやたらと長い文章になってしまいました。そんな拙い文章ですが、ゆっくり最後まで読んで頂けたら幸いです。





学生日本一

僕らが入部したときから、その目標はあって、そんな目標を持った仲間と一緒にやっていきたいと思い入部した気がします。学生日本一になるということは、名大の歴史を変えること、もっと言うと、日本のラクロス界の歴史すらも変えること。



2年になり、15の代になったとき、Aチームに呼んでいただける機会が何度かありました。当時、U22日本代表の慶さんがいた名城との新歓試合に出してもらって、個人技術でまったく歯が立たなさすぎて悔しかったのを覚えています。(新歓試合でそこまでする?と思ったけど、)ひろとさん、あきさんとのボトム3枚のセットで、名城がサーキュレーションしまくり、永遠とマッチアップが慶さんの1on1をやることになりました。1on1勝てないだけじゃなく、まるで自分がいないかのように、自分の後ろのフィールドをじっくり見られている、そんな感覚でした。


15の先輩方は、技術はもちろんのこと、考え方や、想いも尊敬できるところだらけで、この先輩方についていけば大丈夫だと思っていたけど、実際に自分がこの年も、1年後、2年後のリーグでも目標を達成したいのなら、単純についていくだけじゃなく、自分自身が考えて考えて、頑張らないとダメなんだなと、強く思いました。“現状維持は退化だ”って、偉大な先輩が言っていたように、関東と勝負できるようになるには、練習中に、出来ることばかりするのではなく、できないことにもたくさん挑戦して、エゴ出して練習して、プレーの引き出しを増やしていくことしかないと、この時にはそんなことも考えていました。


3年になってからは、そんな気持ちを胸に、新しく5種類ほどボールダウンのできるパターンを増やし、すみとにすまんって気持ちを持ちつつエゴ出して6on6入って、少しずつだったけれど、プレッシャーのかかる場面での起用が増えて、みんなから信頼していってもらえていることが嬉しかったです。そして3年のリーグ期にはなんとか開幕戦をスタメンで迎えられました。この試合の前日には、DFリーダーだった、うりさんに、明日頼むぞって言っていただいて、嬉しかったです。その試合、自分が特に目立ったいい活躍をできたわけではないけれど、自分が考えていた1on1のパターンが通用するなと実感できました。


そして、このまま全国でどう戦おうか、今年こそやってやるぞ!って気持ちになっている矢先、右手小指の神経と腱を切ってしまいました。手術後も、涙がちょちょぎれるくらい痛かったし、何度も悪夢にうなされ、寝ることすら大変だったけど、そんなことより、期待してくれた16の先輩方、同期、ラクロス部のみんなの期待を裏切ることになってしまったことが何より辛かったです。東海大会の決勝で、出場する後輩の18もいる中で、彼らがフィールドに向かう後ろ姿を、ただ頑張れという気持ちで送り出すことしかできなくて、不甲斐ない気持ちでいっぱいでした。


モチベは4年間そんなに変動がなかった僕ですが、このときばかりは、ラクロスのことを考えたくもないし、なんで自分なんだ、なんで今なんだって、考えてもどうしようもないことがずっと頭に巡っていました。いっそのこと、こんな思いになるなら、ラクロス部なんて入らなければよかったとまで思いました。



ずっと心の中では、落ち込んでいましたが、そんな自分にも、必要として声をかけてくれる同期がいて、復帰を手伝ってくれるTRがいて、自分から学ぼうとしてくれる後輩がいました。普段ふざけたことしか言ってこない17DF陣も、このときは珍しく励ましてくれて、嬉しかったけど、笑っちゃいました。そんなみんなの言葉が、自分にとっては大切だったし、頑張るというより、頑張らないとダメだなと、もう1度、2年のときに抱いたような気持ちに奮い立たせてもらいました。



4年になっても、怪我を何度かしたけど、そんな経験、みんなの存在があったからこそ、ありがたいことに今でもラクロスを続けていられます。日本一という目標は達成するこができなかったし、それ以前に自分の憧れた15の先輩方には到底及ばないし、まだまだできないことだらけで毎日学ぶことばかりだけど、先輩後輩含め、関わってくださったみんなとラクロスをできたことに価値があったなと実感しています。



本当にしょうもないことだけれど、

牧野が池での17だけのスクエアパスが笑いすぎるほど面白かったとき

新人戦の飲み会でますが泣いたとき

尊敬するひろとさんに褒めてもらったとき

全国の舞台で早稲田に負けたとき

3年のとき1度だけBチームに行ったとき

自分が躍動する作戦を頂いたとき

怪我で何もできないとき

後輩が上手くなっているのを実感したとき

DF陣とハイタッチしているとき

石段でぐだぐだ喋っているとき

お酒飲みながら、熱く語り合ったとき


そんなラクロスをしてきた4年間で、自分の“心”の動く瞬間は多くありました。もう僕らには、日本一を達成することはできないし、そんな瞬間も思い出に付け加えたかったですが、限られた4年間という時間を、こうして過ごすことができて幸せでした。後悔はちょっとだけあってしまうけど、最高の4年間です。




後輩へ

僕も、先輩方のsoulを読んでそんなことはないと思ったけれど、4年間って想像している以上にあっという間です。そんな限りある4年間の中で、無駄な時間を過ごしてもらいたくないです。怪我したときでも、自分のため、みんなのために、勝利に貢献できることはたくさんあると、ぐっちさんから僕は学びました。目標が大きければ大きいほど、ほんとに無駄にしていい時間なんてないです。そんなためなら、僕らを上手く利用してください。熱量があるなら、一緒にビデオを見る時間もあけるし、参考になるかわからないけど、自分のアイデアは伝えます。


また、色んなことに挑戦してもらいたいです。自分の得意なボールダウンのパターンなんて、どれだけ緊張した場面でも使えるなと思うけど、スカウされたらそのシチュエーションにならないかもしれないし、もちろん違う技術もあった方がいいです。再現性を高める練習をするのか、新しいことにトライする練習をするのか、考えてやってみてください。僕自身は、怪我明け、リーグ期だけ再現性を高める目的を強めて練習しましたが、他の時期は色んなことに挑戦できました。18、19、20みんなでそんなチャレンジできる最高の環境を作っていってください。


僕らの関わった後輩が日本一になるなんて、そんな嬉しいことはないです。歴史を変える瞬間に立ち会いたいです。1年後には、達成してもらえると期待しています。頑張ってください。必ず応援行きます。



マネトレへ

ほんとに感謝の一言に尽きます。自分が少しずつ上手くなれたのも、思うように練習できたのも、みんなのおかげです。今日の映像見たいなと思ったときには、すでにアップロードされてるし、みんなの仕事量にびびるときあるし、ビデオに入っているうるさいくらいの歓声も、ほんとに力になっていました。怪我する度に、TRにはお世話になったけど、一緒に病院に来てテーピングを学んでくれたり、夜中になってもリハビリメニュー考えてくれたり、そのおかげで自分はプレーできたし、活躍を自分のことのように喜んでくれるみんなには、こっちも嬉しくなりました。まだまだ長い時間、一緒に感情を剥き出しにして、目標に向かっていたかったです。




そして、同期へ

現在、入学当初、入部当初から考えると、自分の思い描いた生活・人物像にはなれなかったけれど、その分想像もしていなかった、かけがえのない時間をもらうことができました。自分が人生で誇れるものはこれといってないけれど、17のみんなが仲間であること、そんなみんなとアツくなれる時間を共にできたことは、一生の誇りです。同期のために、勝利のために、アツい涙を流すみんなだからこそ、自分も頑張れたし、共に“学生日本一”を成し遂げたいなと思えました。自分の4年間は、怪我の多く、本当に気持ちが辛い時期だらけだったけど、最後の最後まで信頼してくれたり、諦めさせてくれなかったのも、みんななのかなと思っています。ここから、引退までの期間、そして引退後の時間も使って、みんなに少しずつ恩返しができたらなと思っています。


ありがとう、17大好きです。



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